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舛添要一都知事が辞職し、その理由とは [政治]
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都知事である舛添要一氏が、6月21日に辞職しました。
6月14日の時点では「辞職しない!」と頑なだったのにも関わらず、次の日の15日になって辞職を決断したのかというと、やはり最大の後ろ盾である自民党が不信任案の提出を決めたということが決め手だったようです。
このことで不信任案の可決が避けられない状況になったことで、これ以上都政の混乱を招くことは出来ないということから、自ら辞職を選んだと思われます。それと、やはり不信任案によって辞めさせられるよりも自らの意思で辞職することを選んだものと見られています。
結局、舛添要一氏は2年4ヶ月で辞職することとなりました。
キッカケは週刊文春によるスクープであり、まずは高額な海外出張費でした。その後、公用車でほぼ毎週末、湯河原の別荘に通っていたり、政治資金を家族旅行のホテル代に使用したりと、さまざまな私的流用疑惑が次々と明るみになってきました。それでも初めのうちは「すべてルールに従ってまして、全く問題ありません!」とこれでもまだ強気な姿勢でした。
都議会でも辞意を求める追求があり、都庁にも講義の電話が殺到します。そういう背景もあって法律的な問題よりも、道義的な信用を失い、今回の辞職に追い込まれたのでした。

舛添さんといえば、若い頃テレビのクイズ番組等によく出ていて、私としては憎めない人物であると考えていました。
しかし、任期中の海外出張費で合計億単位の予算を使っていたり、公私混合まがいの予算使用などで、イメージダウンしてしまいました。
おそらく、政治家が美味しい商売だと味をしめてしまったのではないでしょうか。
なぜ、私がこんなことを言うか
今から30年近く昔、私がまだ20代のとき、全く別の場所で別の60代の人に「政治っていうのは、あれは一つの道楽なんだ!!」と言われたことがあるからです。
当時私は、政治のような重要な仕事を道楽でやってもらっては困ると思いました。
でも、今50代半ばの年になって、当時60代の人の言っていたことがわかるような気がします。
次の都知事になる人は、しっかり正義感を持った人を選んでもらいたいですね。
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都知事である舛添要一氏が、6月21日に辞職しました。
6月14日の時点では「辞職しない!」と頑なだったのにも関わらず、次の日の15日になって辞職を決断したのかというと、やはり最大の後ろ盾である自民党が不信任案の提出を決めたということが決め手だったようです。
このことで不信任案の可決が避けられない状況になったことで、これ以上都政の混乱を招くことは出来ないということから、自ら辞職を選んだと思われます。それと、やはり不信任案によって辞めさせられるよりも自らの意思で辞職することを選んだものと見られています。
結局、舛添要一氏は2年4ヶ月で辞職することとなりました。
キッカケは週刊文春によるスクープであり、まずは高額な海外出張費でした。その後、公用車でほぼ毎週末、湯河原の別荘に通っていたり、政治資金を家族旅行のホテル代に使用したりと、さまざまな私的流用疑惑が次々と明るみになってきました。それでも初めのうちは「すべてルールに従ってまして、全く問題ありません!」とこれでもまだ強気な姿勢でした。
都議会でも辞意を求める追求があり、都庁にも講義の電話が殺到します。そういう背景もあって法律的な問題よりも、道義的な信用を失い、今回の辞職に追い込まれたのでした。

舛添さんといえば、若い頃テレビのクイズ番組等によく出ていて、私としては憎めない人物であると考えていました。
しかし、任期中の海外出張費で合計億単位の予算を使っていたり、公私混合まがいの予算使用などで、イメージダウンしてしまいました。
おそらく、政治家が美味しい商売だと味をしめてしまったのではないでしょうか。
なぜ、私がこんなことを言うか
今から30年近く昔、私がまだ20代のとき、全く別の場所で別の60代の人に「政治っていうのは、あれは一つの道楽なんだ!!」と言われたことがあるからです。
当時私は、政治のような重要な仕事を道楽でやってもらっては困ると思いました。
でも、今50代半ばの年になって、当時60代の人の言っていたことがわかるような気がします。
次の都知事になる人は、しっかり正義感を持った人を選んでもらいたいですね。
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