井山裕太さんが十段戦に勝利し、タイトル7冠を達成しました [囲碁]
囲碁のタイトル6冠を保持する井山裕太本因坊(26)=ほかに棋聖、名人、王座、天元、碁聖=がさる4月20日、十段を奪取し、囲碁界では初めて全7大タイトルの同時制覇を達成しました。
井山は、東京都千代田区の日本棋院で打たれた第54期十段戦五番勝負(産経新聞社主催)の第4局で同日午後5時21分、163手で伊田篤史十段(22)に黒番中押し勝ちし、3勝1敗でタイトルを獲得しました。
彼は2013年3月に棋聖を奪取して初めて6冠となった。翌月、十段を失うも同年10月に名人を獲得、再び6冠に復帰。しかし、2014年は十段戦の挑戦者になれず、7冠挑戦の機会を逃した。同年12月には王座、天元を相次いで失い4冠まで後退したが、翌2015年すぐに取り戻し、三たび6冠に。今期は十段戦の挑戦者になり、7冠に挑んでいた。
さて井山裕太さんとは、どのような人物なのでしょうか?
井山 裕太(いやま ゆうた、1989年5月24日 生まれ )は、日本棋院関西総本部所属の囲碁棋士。大阪府東大阪市出身。石井邦生九段門下。元妻は将棋界の室田伊緒女流二段。
5歳で父が買ってきたテレビゲームで囲碁を覚え、アマチュア高段者の祖父の薫陶を受ける。まだ小学校入学前の年齢にもかかわらず、碁を始めて半年で5級、さらに半年で3段になる。6歳の時、ミニ碁一番勝負に出場し、5人抜き。番組の解説者だった石井邦生九段に弟子入り。
1997年(東大阪市立孔舎衙東小学校2年)、1998年(同3年)に少年少女囲碁大会全国大会で2年連続優勝。また同年にはじまった全日本こども囲碁大会の初代優勝者にも輝き、平成生まれのチャンピオンとして話題を集めた。
このように、希にみる才能の持ち主のようですね。
普通の囲碁プロ棋士にとってタイトルの1つでもとるのは大変なのに、タイトルを複数しかも全部ひとりでとるとは、大変な快挙です。
いわば、将棋界の羽生さんのタイトル7冠と同じ価値をもつと思います。
私も囲碁が趣味のひとつで、アマチュア2段くらいなのですが、なかなか上達しないゲームであることは身をもって実感しております。やはり才能がものいうのでしょうか(笑)。
かつては地域の囲碁をやるところなどでよく打ったりしたのですが、最近はパソコンのソフトでやることが多いです。
井山裕太さんも、さらに精進努力していって棋力を磨いていってください。
井山は、東京都千代田区の日本棋院で打たれた第54期十段戦五番勝負(産経新聞社主催)の第4局で同日午後5時21分、163手で伊田篤史十段(22)に黒番中押し勝ちし、3勝1敗でタイトルを獲得しました。
彼は2013年3月に棋聖を奪取して初めて6冠となった。翌月、十段を失うも同年10月に名人を獲得、再び6冠に復帰。しかし、2014年は十段戦の挑戦者になれず、7冠挑戦の機会を逃した。同年12月には王座、天元を相次いで失い4冠まで後退したが、翌2015年すぐに取り戻し、三たび6冠に。今期は十段戦の挑戦者になり、7冠に挑んでいた。
さて井山裕太さんとは、どのような人物なのでしょうか?
井山 裕太(いやま ゆうた、1989年5月24日 生まれ )は、日本棋院関西総本部所属の囲碁棋士。大阪府東大阪市出身。石井邦生九段門下。元妻は将棋界の室田伊緒女流二段。
5歳で父が買ってきたテレビゲームで囲碁を覚え、アマチュア高段者の祖父の薫陶を受ける。まだ小学校入学前の年齢にもかかわらず、碁を始めて半年で5級、さらに半年で3段になる。6歳の時、ミニ碁一番勝負に出場し、5人抜き。番組の解説者だった石井邦生九段に弟子入り。
1997年(東大阪市立孔舎衙東小学校2年)、1998年(同3年)に少年少女囲碁大会全国大会で2年連続優勝。また同年にはじまった全日本こども囲碁大会の初代優勝者にも輝き、平成生まれのチャンピオンとして話題を集めた。
このように、希にみる才能の持ち主のようですね。
普通の囲碁プロ棋士にとってタイトルの1つでもとるのは大変なのに、タイトルを複数しかも全部ひとりでとるとは、大変な快挙です。
いわば、将棋界の羽生さんのタイトル7冠と同じ価値をもつと思います。
私も囲碁が趣味のひとつで、アマチュア2段くらいなのですが、なかなか上達しないゲームであることは身をもって実感しております。やはり才能がものいうのでしょうか(笑)。
かつては地域の囲碁をやるところなどでよく打ったりしたのですが、最近はパソコンのソフトでやることが多いです。
井山裕太さんも、さらに精進努力していって棋力を磨いていってください。