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阪神淡路大震災が発生して、22年がたちました [事件]

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6434人が亡くなった阪神淡路大震災から今月の17日で22年となり、神戸市など大きな被害を受けた地域では、遺族などが、地震が起きた午前5時46分に黙とうし、犠牲者を悼みました。

このうち神戸市中央区の東遊園地では、およそ7000本の竹の灯ろうが地震が起きた日の「1.17」や「光」という文字の形に並べられ、遺族や被災した人たちが黙とうをして、犠牲者に祈りをささげました。

敷地内にある慰霊碑の前では神戸市が主催する追悼の集いが開かれ、震災で神戸市東灘区にあった自宅が全壊し、当時32歳の妻を亡くした大阪・和泉市の会社員、大鳥居慎司さん(58)が追悼の言葉を述べました。

大鳥居さんは、「悲しみを乗り越え、妻がいない日常を受け入れた現在でも、さみしいです。仕事も子育てもこれからというときに、突然命を奪われた妻はさぞかし無念だったと思います。夢でもし会えたなら、そんな妻の話を聞いてあげたいし、私へ託す思いも聞きたいです」と語りました。

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ところで、阪神淡路大震災とはどのようなものでしょうか。

今から22年前の1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒、淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、Mj7.3の兵庫県南部地震が発生したものです。

近畿圏の広域(兵庫県を中心に、大阪府、京都府も)が大きな被害を受けた。

大阪府ではABC朝日放送本社1階(2008年5月の移転前の建物)のショールームの窓ガラスが割れて散乱した。新大阪駅では新幹線ホームの駅名表示看板が落下したり、駅構内の窓ガラスが散乱するなどの被害を受けた。

奈良県でも建物のガラスが道路上に落ちるなどの被害もあった。京都府の広隆寺などの寺院でも被害が出た。特に震源に近い神戸市市街地(東灘区・灘区・中央区(三宮・元町・ポートアイランドなど)・兵庫区・長田区・須磨区)の被害は甚大で、日本国内のみならず世界中に衝撃を与えた。

戦後に発生した地震災害としては、東日本大震災に次ぐ被害規模であり、戦後に発生した自然災害では、犠牲者の数で伊勢湾台風の5,098人を上回り、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであった。


あの時の大地震から、22年もたってしまったのかというのが率直な思いです。

私は埼玉県在住ですので、テレビをつけてみたとき、あちこちに火災がおきている映像が忘れられません。

私の弟は、当時大阪に赴任していたので、電話できいたところ、早朝で揺れが激しくびっくりして飛び起きたと言っていました。

この大震災が起きた平成7年度は、3月にはオウム真理教による地下鉄サリン事件も発生し、めまぐるしい時期だったように思います。

現代科学では地震の正確な予知は難しいようですが、もう、このような被害がおきる大地震はあまり発生しないことを願っています。


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